油彩




多分中1の頃ですね…このサイズで毎年展覧会に出さないといけないので習っていたときは毎年描いていました。今は素早くさっさと描けるけど慣れていないので1年くらいかけて気長に描いていました。中2の時、賞を取ったら学校でクラスメイトにいじめられて不登校になりました。

わたしの場合自分が人より優れている感覚が薄い方なので比較されて嫉妬されている自体が理解できなくてできすぎてドン引きされて遠巻きにされるというのも、すごいやろと人に見せようと思ってやってないというか普通にやった結果がこうなっているくらいですごい絵を描きたいという意識は低かったので、賞を取ることがすごいことなのかとも今あんまり思わないし、そんなに嫉妬になるのかなというのも普通にこなした結果でなぜか人間関係がぐちゃぐちゃになるというのが消化できなくて傷つくというか。

今客観的に観るとその年齢にしては描けてる枠に入ることくらいはわかるけど、わたし自身は別に賞を取ったから絵がうまいとか、家では褒められないので思ってなかったし、自分は実力があるとは思ってないけど、不当に周囲に持ち上げられている違和感の方が大きかったんですよね。この絵も家に持ち帰ったら親は一切褒めずにダメ出しだけしてたのでダメなんだなと思ってましたね、大人になってから親を観察すると、とにかくディスるだけしかできないような芸しかない親だから完全無視していいくらいはわかるけど。

親がどう考えているのかはわからないけど、やはり以前の作品なんて捨てろ、そんなもん捨てろと才能を潰す方向へ常に一貫して誘導されていたんだけど、友達のお母さんは消しゴムはんこひとつでも捨てないで取っておきなさいと手紙で助言してくれたり、そういう真逆な人に助けられたりしていましたね。親には美大なんて受からないから受けるなと言われて結局受けなかったんだけど、その友達のお母さんは受けてみるといいと肯定的に言ってくれていたり。

自分の親以上に価値観が合うというか、自分の親はスピリチュアル全否定なんだけど、そういう話題も年代的に江原さんじゃなくて、丹波哲郎さんの頃から追ってたとか、友達のお母さんなのにこの人の方が自分の親みたいだなという感じでした。妄想の範囲で実証はできないけど、もう亡くなられたので、あの頃は楽しかったねとなぜか涙が出るほど感応が起こるときが時々ありますね。

絵自体はそんなに活発じゃないけど根気があるとか、そういうタイプの人には向いているけど、とにかく身体を動かしたい、じっとしていたくない子どもにやらせてみても多分続かないですね。だから明らかに向き不向きって、じっとするより身体を動かしたい人は画面に根気強く向き合うなんてできないから上達しないとかそれだけの理由ですね。

ある程度大人で、根気が続かないので根気強くしたいというのにも絵を仕上げるというのは向いていると思います。わたしでもひとつの絵を仕上げるって最後になる程丁寧な作業を要求されるので相当疲れるというか、投げ出したい気持ちになるのでそれをコツコツやるというのは訓練にはなりますね。

実際は習い事をさせてみても落ち着きがまだないからまともに画面に向き合うができないパターンの方が多い気がします。まだ楽器なら派手な音が出るとかじっと集中するにしても刺激があるけど、絵はそのレベルでの刺激もない、じっと画面に作業するだけで刺激が何もないので、向き不向きが明らかに出てくるというか。わたしの場合はうるさいとか、刺激が強い方が苦しいので低刺激のレベルの感じのことが一番長くできるのですよね…。

絵が上手くなるというのも手先とかそういうのもあるかもしれないけど、それ以上に、根気強くどれだけ試行錯誤を続けられるかに集約されているので、集中力が長く続かない人はなかなか上手くならないとか単純な理由だと思いますね。才能というより、気質が向いていると上達しやすいというか。絵が上手くなるって試行錯誤をしまくって上手くできたところで完成させるのを繰り返すので試行錯誤が中途半端だと上手くならないっていう。

絵をやってない人が逆に強烈に嫉妬になるんだろうけど、ちゃんと作業を積み重ねている人たちの中にいればあなたいい作品描けたね、あなたもっていう交流ができるので足の引っ張り合いになることはないですね…。足を引っ張ってくる人がいるとすると明らかに絵なんて好きじゃないのに運でうまい汁を吸っているとものすごく勘違いしていたり、相手が努力して得たものだと想像できないくらい自分が積むべき努力を怠っている人だとは言えると思います。

現在って本当に娯楽って受身に映像を観るとか生きててそれだけで楽しいのかなと思うレベルで結構バリエーションがなさすぎる気がする思い切ってひとつくらい、今まで生きてて全然やったことないことをやってみたいらいいのになと感じますね…。

わたしはたまたま子どもの頃から落ち着きがあったので子どもの時点で成果が出ているけど、大人になって精神的に落ち着いているようになったらいい趣味になる気がします。ポイントは人の評価を自分の軸にしないことだろうなと。いちいち誰かに褒められないとモチベーションが保てないんじゃ趣味として続けられないです。

わたし自身の軸は何かというと、自分の中のイメージが画面に表現できるかどうかなので親がディスったところで自己評価に変化がないというか、あまり自分の絵に対するモチベーションが変わるとか、影響がないのですよね。褒められたことはないけど、周囲に認められるようになると毒親と思われたくなくて褒めるふりをしはじめましたね。

あと絵の具を混ぜてどんな感じになるか予測がつかないのが楽しいとか実験的な要素。自分がどう思うかの比重が絵に対しては強いので誰かに褒められても自分的にはこれは表現的になんか違うと思ってたんだけどなと感じることもあります。家族に貶されてもあんたの意見なんて最初から聞いてないから。いちいちうるさいと思うことがありますね。

他の人の噂話や悪口とか非生産的なことを延々と娯楽にするくらいなら黙々と絵を描いた方がよっぽどマシです。下手でもいいので。巨匠の画家でも実際初期は下手なんですよ…展覧会に行くと時系列で何歳くらいのはこういう絵でとか並んでいたりするし、この画家は何歳から何歳までしか絵を描いてないとか30歳近くになって始めた遅咲きだったり、遅いことなんてまずないけどやるには早い方がいいよねということは理解できる気がします。

飲み込みの早さに関しては若い方がアドバンテージはあると思います。巨匠画家とかを無意味に別世界の人だと思いすぎているけど、結局生きている間に地道に描いてたらあとで巨匠って言われてる知らんけど…って感じなんじゃないかと思います。絵に関しては、ど素人だと「うまいor下手」「(絵的に)好きor嫌い」というごく個人の主観的な尺度しかないけど、

やってる人から見ると全然求められていない褒め方の場合があったり、やっている人同士だと、画面のサイズだけのことでも話が成立するし(描いている人でないとこの大きいサイズだと仕上げるとか構図を考えるのが大変とか、小さくても繊細さが要り、完成までに神経が擦り切れてくるみたいな理解ができない)、ここは技術的にこういうことをしてみたという話の方がよく盛り上がったりします。

趣味の話が他の人と成立すると他の人や自分も含め、個人的な事情に過度に立ち入らなくても周囲の人と話が成立するのでいい距離感も保てて技術を教えてもらったり、楽しみは増える気がします。恋愛関係がどうとか結婚生活がどうとか、よくわからない人に勝手な意見を言われても個人的なことなのでよりうざく感じるだろうし、案外個人的なことって話が広がるっていうことはないので、そういう話をしなくてもきちんとコミュニケーションが充実するような世界ができるというか。

それに子どもが巣立つ時期には、もう打ち込む趣味や世界を持っている母親というのは明らかに心理的に健康な人だけれど、それがない場合なだけで子どもにしがみつく本当に厄介な母親…となりますよね。心理学でも。自分の心を満たすために創造的な趣味に打ち込んでいる方というのは自ら能動性があって動けるタイプで、心理的にまず病んでないですね。

逆に案外病んでるのが趣味に打ち込むような能動性がある方じゃなくて、人を援助するとか安易に人のためになろうと思う傾向がある人の方が実際は何か闇というか…とても病んでるなぁと感じます。人に何かしようとする前に、まず自分の心を満たそうと思って具体的に行動できる人の方が健全な感覚なのではないかと感じます。お世話になった友達のお母さんも絵など趣味もやっていたんですね。

満たし方のベクトルがモラル・ハラスメントという本を読んでいて感じるけど、自分1人でもコツコツできる趣味で自分を満そうと感じる人はまず、人を支配したり巻き込むことで自分を自己満足させようと思ってないからその趣味なんだけど、人を援助しようと思う人は基準自体というか…そこが元から違うんじゃないかと思いますね。人がいて自分が満たされる=自分で自分を満たすことができない。もちろん全員じゃないけれど、趣味もあって人を援助している方もいらっしゃるだろうし、そういう人は支配的な援助にならないと思います。