(これわたしが作ってない、親です。メニュー自体は記録しないと忘れるので忘備録として写真撮ってた)あさりのパスタが入ってないバージョンの酒蒸しだったりだいたいわかりますね…。親がまともなの作ってくれる場合絶対再現できないので写真を撮っておいた方がいいし、生存しているうちに教えてくれるなら料理を教わった方がいいです…切実に。
実際は長生きしているけど、親は死ぬという意識があったのでだいぶ前から習慣づけています。揚げ物とかは見てるだけでしたがそんなこと言ってられないなと思いやってみたら案外できますね。持病ゆえに長くない意識があるからマメにやっていたけど、同級生の友達のご両親でも突然亡くなる方も実際いらっしゃるので、今でしょ精神大事ですね。お母さんが亡くなって誰も家事できないみたいな…そこまでワンオペさせてたのも逆に驚きですが。
何も作れない未来を考えると、とても危機的に感じましたね…。あと数年で死に別れる意識があったのでやったけどそれくらいに感じてないとやらないなら本当に誰がいつ死ぬかなんてわからないので悠長なこと言ってられないです。この年の数年前に手術したり集中治療室に入ったりしたため結構覚悟していたり。
家族関係がめちゃくちゃなのでわたしが主たるなんとかみたいになるので説明を受けたり手術で取ったものを見せられて説明を受けたり。手術室前で何時間、待機とか何もすることがないと悪い方に考えすぎるので、雑誌なり音楽なり時間をつぶせるものを持参して気楽に過ごした方がいいです。
PHSみたいなのを持たされて待機してました。泣いても哀しんでもどうしようもならんことやな…と待機中に悟りが降ってきますね…。透析とガンの手術を同時にしたのでガンが手術によって治癒するなど、よくなる想定で暮らしてはいなかったです(腎臓がすでに悪い影響で抗がん剤などが使えなかったため)。
もう長くないと覚悟して悪い想定で暮らしていくと現実的に料理を覚えるとかそういうことになります。最後は自分を自分で助けるしか基本的な方法はないですし。若かったですがそれでも一人で生きる覚悟は苦しみながらしましたね。そう簡単にできることではなかったですが。
男女問わず、その前に結婚したら将来安泰とかそういうの基本的に無駄なあがきだと思いますよ…自分が覚悟できるかというのがどこかの課題でタイミングで逃れられない感じで必ず来ると思います。だから苦しんで乗り越えろという課題。山を乗り越えるとひとりだろうがそれが怖いとかあまり感じないし、孤独に対してどうとも思わなくなりますね。
仕方ないよねくらいで済ませられる問題。パートナーがいたとしても大切なパートナーであるほどあとで死別の時になってめっちゃ苦しむ…先が読めるのですが…。だから孤独に苦しむことにも意味があると思いますね。自分が孤独である環境がおかしいと捉えるとその捉え方が間違っていてより苦しくなる。
わたしはめっちゃ孤独に生きてますが自己処理出来ますね。人間孤独に苦しまないと自分のことは自分でなんとかする自己完結的な気持ちなんていつまで経っても芽生えないですね…。苦しみではなく課題と捉えるべきだと思います。実際苦しんだがわたしは乗り越えられているので。ひとりは寂しいで誰かにすがってもそれはいつまでも自分が亡霊のままですね…実際のところ。