40歳からの20年計画

60歳までだったら計画できる気がする

80歳やら100歳まで生きるやらだと、途方がなくて先が見えないんだけど、認知症にならずにまともに暮らせるのは60歳くらいまでと見ておこうと思うと(実際は訪看さんの元気さを見ていると現実的には早すぎるんだろうけどとは思います)計画の範囲内に持って来られて逆にあと20年か…どう充実させたいか考えられる気がします。

若い人におばちゃん認定される年代になったけど、ここまで生きてくると、おばちゃんといわれるフェーズまで安穏と無事に生きて来られたことに感謝の念が湧きます。

訪看さんと話して自分を振り返ってみると、少し薬が重いかな、と感じてはいるけど、再発しないように精神の昂りをしっかりロウに落としこんで休む時間を取れている今がちょうどいいのかな、と感じているところです。過去は9時には週1か2だけど家を出て、行き来で1万歩くらい歩いて電車に乗って、歩きまくって体ガタガタな生活をしていたけど、その方がいいと思っていながら再発してて…ということもありました。

それに、同年代の方が、仕事で苦労していたり頑張っていたりするのを見ると、それを難なくスキップしてのうのうと生きてる感が半端なくて、自分になんだかなぁ…と感じたりはします。でも毎日の服薬でしっかり落とされて、眠気が半端なくて起きれないしなぁと現実を感じる。訪看さんはその現実をきちんと受け止めてくれて、それなのにどっかに出かけろと器以上の指示をして来ないので安心感があります。

人と比べまくると何もやってない自分に発破をかけたくなるんだけど、現実的には黙って思考したり、1人暮らしの周囲の家事を片付けたりとやってないことはないです。

あと20年かぁと考えると、きっとこの20年はあっという間なんだろうな、と感じます。過去に撮った写真を再び見ると、あんな絵のモチーフになるかもとか、絵の構想が頭に湧いてきて、家でゆるゆると絵に起こすくらいが自分にあっているんだろうな、と感じています。

今後の20年なら計画立てられそうと思いつつも、もうちょっと調子が出ないと現実的には先の見通しはできないんだけど、直近、ちょっと絵が描けたら嬉しいな、とかそんなささやかなことの計画は心の中に立ったりします。

なんで60歳までの20年かというと江原さんがそのようなというか、70歳以降は認知機能の衰えが出てくるだろうというようなこと、一般的にはですよ、おっしゃっていて、何歳でも健常でという考えは自分を苦しめるんだろうなぁ…と何となく感じているからです。

40代になると、世の中の仕組みが見えてきて、自分そのものが売りというか世間的に見られているのっておそらく30代くらいまでで、40代からは若さがない中ただの一般のおばさんという評価の中、何で勝負できるかが本当に自分のスキルのみとか、思ったよりずっと自分の武器なんてない。

っていう現実が待っている気がして、自分は何で勝負するのか?歳を重ねると注目も何もなくなるが。というのは考えた方がいいと思います。全然、労働力としてひたむきに動ける自分でも武器には使えるし。でも思ったいたよりずっと自分の武器が少ない自分に慄く年齢な気がします。

なんで絵を描かなくなったのかというのも、理想に近い絵を描いている人の方が多いし、自分もそこまでレベルを上げるというのも、がむしゃらに描いていた頃の方が熱があったのがわかるので、完成がまだまだの絵が出来上がって冷めていくんだろうなーと先が見えてしまう。

素人の発想ですね…。みんなでまだ練習として何かをデッサンしてみるとか、試しに何かやって右往左往している時の方がグッと面白かったので、また学校などで穏やかに先生に教えてもらったりと、そういう機会を持ちたいだけなんですよね。

でも絵をやるというのは食べていかなきゃいけないんじゃないか?と圧というかプレッシャーも感じていたんだけど、そもそも売れる絵なんてほぼないし、売れる絵を描く必要なんてない、と思うとすごく絵が楽しくなってくる自分がいます。売れる絵を描かなくてもいいと感じると味のある絵が描ける気がする、自分的にと感じます。

私にとって生産性のある人生というのは、心躍ることに取り組むことで、稼ぐことじゃないんだよなぁ…と大体の自分が見えてくる感じがします。