読んでいる本を晒すなんてとは思うが…
わたしは人生経験が薄くて、今年の山場が10年くらいに1回回ってきた町内会の仕事なんだけど、山だった集金が思ったより簡単にあっさり終わって、予定がない!というとてつもない清々しさを味わっていました。
人生経験は薄いけど、学生時代は作品の締め切りがいつもあって、毎日何かに追い立てられて動いている煩わしさがあったり、小さな約束を守るためには体調を…とか頭で考えるリソースを使わずに家にいて何をするにも自由な自由時間がとても幸せに感じます。暇な時間にまた読書しようと思って刺激的な本を求めて上野千鶴子さんの本を購入したりしました。
性の問題から始まりはするものの、結局は母娘の問題から派生している感じとか、自分もなんでこういう生き方をしているのか考えるきっかけになる気がします。自分の経験やどう感じていたかなどをできるだけとことん言語化しているこの本にとても読み応えを感じました。
わたしは保守的に歩んできた方だと思うんだけど、なんで自分はこうなんだ?と感じる影にもやっぱりわたしのも母の影響がある気がしています。わたしの母は化粧はしないけど仕事していて、口紅を塗って化粧をする姿を見るとか、男に媚びてみたりしたことを一度も見たことがなく、そんな母にわたしは無意識に畏怖の念を感じていると思います。
母には全く似てはいないけど、母のように生きたいという青写真というか、そう生きる道も正しいと道を示されている?かのように母が生きてきた後を見ている自分がいます。男に媚を売って生きようと思えばできたものの、そうする姿を見た母に捨てられたくないという気持ちが大きくあるように思います。男に捨てられるより、母に捨てられるのが怖いと思っている気もします。
夜職に足を踏み入れないか、親への反抗心から夜職へ足を踏み入れるかは、鈴木さんの手記を読んでいると、ただのコインの表か裏が出ているかの違いに感じます。わたしは夜職などで揉まれて苦しんだり自分の闇とか嫌な面を見つめて一生大事に抱えきれない弱さがあるように感じて、踏み入れない方がいい世界に感じています。一度も夜職に足を踏み入れなかったから自分は偉いとも思わないです。
読み応えのある本が読みたい…と感じて、上野千鶴子さんの「40才からの老いの探究学」という本を中古で買って届くのを待っています。現在40代だから参考になるあれこれが書いてあるかもしれないと思って…。
昼間から誰の声もかからず静かな環境で読書できる幸せ感が半端なく、煩わしいものが何もなくこんなに幸せでいいのかなと感じることがあります。50代の方が多い訪看さんが言うことも50代になる自分が朧げに少しわかって参考になっています。
フェミニズムは女性がどのような服装であっても自由という感じで、わたし自身は30代の頃はステレオタイプな女性のように髪を伸ばして振る舞う自分に納得感があるものの、最初から男性の承認を得るのが目的だったのか?という疑問は拭えないでいます。
ある程度は男性に受け入れられる見た目なので恋愛もできたりはするものの…本当の自分はそういう装いで自分を楽しませたいだけで、男性からも受け入れられたいとは思っていなかったように感じています。異性とも人間として対話したい欲はあるけど、性的に見られると好きな人以外は迷惑なんだよなと煩わしく感じるというか。
わたし自身はもっと女の子らしいスカートを外で履いて出歩いてみたい、という気持ちはあったけど、小柄な自分がスカートを外で履いている姿が、無防備すぎて暴力を防御できないように感じて、鎧を着る気持ちでいつも外に出る時はジーンズに履き替えている自分がいました。
わたしの気持ちは時代と年齢が合っていたら森ガールのような装いへの憧れがいつもあって、当時の森ガールのムックも家に置いてあります。可愛らしいという憧れや、女性らしい服を着たい気持ちは承認欲求からきているのか…?よくわからなくなってきます。
(ただ着たい服をありのままに着てみたい欲があるだけで憧れられたいという欲はないけど、加害性にはきちんと抗って着たい服を着てみたかったという後悔があるため、そこまでして着たいのは何故なんだろうと思うことがある…)
自分の好みのありのままに生きれたらああいう装いをしたけど、世の中の暴力性に怯えて結局ほとんどできなかったです。憧れと同時に外にあんな装いをしていったら加害される気がして確かな怖さを感じてできなかった。短大生の頃にたまたまリクルートスーツを着る機会があって、友達と駅を歩いていたら、おじさんに足下から上に視線を送られた時に、女性という記号を持つと加害されるのではと予測とまだされていない加害への怖さを感じました。
たまたま好きな彼に見せるためにそういう装いをしていたら、多分彼は他の男に会いにいくんだと傷ついていたみたいだけど、わたしは彼に見せるために勇気を出して外に服を着て珍しくでていたところだったんだけどなぁ…と傷つくまではいかないけど、思いました。あまりにも着ない服なので客観的に似合っているのか外していて痛い装いなのかも自分では自分を客観視できずわからないので勇気がいるんですよね…。
わたしがいい歳して化粧をしないのも、母が化粧をしなくてもナチュラルで綺麗に見えていた経験を踏襲というか…なんとなくそんな気持ちでずっと化粧をしない習慣が続いています。











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