ぽっちゃりコーデの。ユニクロでどうせ似合わないしとか、丈が長いからカットしてもらうのめんどいなと、カットしなくていいやつを投げやりにレギパンを鷲掴みにして買ってきたけど空気が入らなくてあったか〜!(写真で着てるやつです)感動しているのでもうちょっと今度買ってこようかなぁ。
上のジャージは厚手でネットで買ったわりには当たりだったやつです。もう白がなくなっていたので大きめの赤を仕方なく買った。ぽっちゃりというより着膨れしまくっている。
転勤された訪看さんが暇ならベタ(熱帯魚)を飼ってみたらとおっしゃっていて、夢だとなんだかんだ飼ってる夢を見る…現実だとそんなそぶりはない。
なんだか過去の話ではあるけど今も周囲の人にモテモテと思われているのかもだけど、そもそも連絡先を教えないとかガッツリガードしているのにモテも何もないというか…うっかり素性のわからない人に連絡先交換してそのうち怨恨で殺されちゃったりしそうな気がするし、
どこの誰だか素性の知れない人にそんな怖いことしてないし、連絡先を教えるでもハードル高いです…。モテるモテないとかいうけど実際は怖いもの知らずなんじゃないかなぁという気がする、知らない男に連絡先まず教えないからなぁ。
学校に行ってた時には興味のある科目のテストになぜかイケメンがいたりおぉ〜ということはあったけど所詮はその場で会っただけのただの素性の知れない人だからなぁ…。実際には学校に行ったところで変な人も多いのにそんなにお近づきになったりすることはないというか。
なんかいつも勘違いされている気がするのが、わたしはモテモテなので誰かに呼ばれがちとか人に言ってないだけでそういう誘いがいつもあるとかそういう感じの誤解や錯覚、むしろないから話題に出してないと思わないのかなぁというのが気になる。
わたしは実際はいつもそういう浮いた話も特にないから話題に出さないだけだけど…。年齢も年齢で恋愛も今更感あるし。なんというか最近は生きてるだけで精一杯。女性と男性の生きている世界って違うと思いがちだけど年齢を経ても自分からアグレッシブに行く女性は何歳でも彼氏ができるだろうけど、普通にガードして家にこもっているのにできるとかもない。
むしろ同性同士、わたしはレズビアンじゃないからそういう欲求からじゃないけど10歳下のデイケアで知り合ったあの子は元気にやってるかなぁ…とかそういう友人関係と言ったらいいのかな、もう遠い話ではあるけどそういうことの方が自分の恋愛より気になる性格ですね…。
あの調子の悪さじゃどこかで大きなトラブルが起きそうだなぁとか、それを会ってる限りは防がなくちゃとか個人的に思っていたので飴ちゃんあげたりして仲良くしていたんだけど…。PMSで婦人科にかかっていた時に全然他の人なんだけど、
精神疾患で記憶がないから妊娠してないか確認しに来た、って受付で言ってる人がいて、そんな恐ろしいことが世の中に!と思ってその子の身を案じていた。明らかにいつも精神症状が出ているあの子がいられる場所って限られているだろうから今いる場所を失わないでいつもいられるのが重要なんじゃないかなと個人的に思っていたけど。
他の人に無視されてて大泣きしていた…。でもいられる場所が限られていることをよく考えて居心地のいい場所にしてあげなくちゃいけなかったんじゃないかなと、症状の悪そうな人に関しては感じる、特に自分より若い子だったりすると障害者なのを見越して性的暴行とか色んなリスクに晒されがちな気がして個人的に怖い。周囲の人が守ってあげないと自分で守れないと感じるし。
わたしは普段よっぽど悪くならないと精神症状が出てないタイプなので普段から普通に見られていて障害者とも悟られないけど若いから変な人に出会いまくりだったのは前書いたけど。弁天がお母さんと言われがちなのはもう会ってないあの子がわたしのように変なトラブルにも巻き込まれずに平穏無事な人生を送れるだろうかと人のことを気にしがちというのはある気がする。
守ってあげないとよっぽど障害を持っている、症状が明らかによくならない時点で人生が密かにベリーハードモードだと思うのに理解しないで支援者側にも疎まれていてなんなんだろうと思った。守るべき立場の人が守る姿勢を取ってくれないと下手すりゃ死んじゃうと思うよ…。昔、福祉のテレビでやってたけど性産業が境界知能など、障害者を狙うっていうのをやっていて、これはちゃんと考えないと痛い目見るのじゃ済まないなと感じる。
色々考えた上でその子のそばにいつも座っていたけど、スタッフの人に嫌いなら関わらなくていいよ!と言われて、あの〜…?あなたはジャワ原人か何かですか?とYouTubeで見た返しをしたくなる。職場におままごとしに来ていらっしゃる?わたしは冷静になるとオーラ青になったり意外と青は人の好き嫌いが赤の人とかみたいに極端じゃなくて少なくて人に対応を変えたりしないんですよ…。とっつきにくいだけで。
そういうハードモードな人生になってしまった人を守るべきなのに、むしろ疎んで自分の恋愛、結婚だのに必死になっている人生って客観的に見てクソみたいだなと思ってそういう人は魅力的な人生に見えないですね…。
仕事を行う上でその人と合うか合わないかなんて最初に気にして避けている余裕なんてないはずだろうに。おままごとしに来ているわけでもないのに、何やってんだと感じる。自分の人の好き嫌いで仕事を選んで成り立つ立場なんでしょうかね。
あのデイケアは扱いやすい人だけを集めてそれ以外は排除するクズ集団なのだろうか。病気だから必要があって通っているのはこちらの方でこちらが利用者、スタッフの利害の影響を受けるために通っているわけではないのだが。
明らかに若い子を無視するなど大人気ないよく来る人にスタッフが媚びていてなんなんだろうという瞬間がある。わたしは言う時は言うので嫌われがちなのはわかるけど、嫌いだから距離を詰めないとか色々されているのは感じる。
多分教えてくれた方も見てると思うけど同性同士でも角の角度でカウンセリングはしてないレベルで嫌われていたので気づきましたね。カウンセラーと90℃の角の角度でカウンセリングを行うので近いって誰々さんが言ってた(笑)そのカウンセリングにかかっている話をしてくれた方は男性でしたね。
わたしは最初から対面ですね…なんせ嫌われているからです。あの病院に行くと職員の好き嫌いから明らかに差別されたり、入院から個人の好き嫌いでクソ対応されがちとかわりとデフォなので疲れるんですよね、入院中から夜の投薬の場面も面白対応、退院してもicoiさん元気?と覚えていてくれて丁寧に接してくれる方もいるけど、入院中とかも夜中の3時からシャッターをガシャーンとやる看護師とか普通にいて老ける。
それに診断書に通わなくなるなど負の意味で書かれるけど正の意味で行けてた時期があるとは書かないんだなと言うのは感じる。個人的にどれだけの労力をかけて通っていたのか訪看さんとかは聞いてくださるけど、通所するのが当たり前と言うかの如し、通うことにかかる労力無視ですしね…。
まず片道30分駅まで歩き、30分電車に乗り、30分くらいバスに乗る。それを労わってくれないなんて結構アレだなと。帰りはまさかの送迎の駅までの送り漏れでデイケア施設から帰れず置いてけぼりにされて日が真っ暗に暮れてから帰る。
これじゃどんなに健康な人でも行き来だけで労力がもたないよ。担当医が木曜なので木曜日に通院に行ったらたくさんデイケアに人が来ていて盛況だなぁと感じつつ。わたしは晴れた明るいうちの車の運転で精一杯だったりする。YouTubeを見ていると病院に行って当たり前という姿勢も変わってくるのかなぁ…と訪問診療など時代の変遷を感じている。
訪問看護さんは個人的な好き嫌いオンリーで時間を縮めないというルールを守り必ず30分以上は話を聞いてくれるのでありがたいです。問題がある時には適宜長く時間を取ってくれたりと臨機応変に応じてくださる。来てくださる労力がかかるけどわたしにとってはホームの場で会えるのも楽です。
アウェイの場で意地悪な人がいると行きたくなくなる。転勤なさったけど、たまたま訪看さんとめっちゃ家近いため、スーパーで会ったら歩けるから遠慮するつもりだったけど家まで送ってくださったり。
たまたま会うのがうざいなとか思わないんだな、とありがたいなぁと感じました。そんな恩があるのも訪看さんの方が忘れてあんまり来てないし何にもしてなかったなぁと受けた恩をこっちはめっちゃ覚えてるけど、恩を贈る方は忘れるのですね。本当に徳の貯金じゃないけど自然にできてる方だなぁ。
過去にとても仲が良かった友達から突然年賀状だけだけど連絡が昨年くらいからなくなり、大丈夫なのかなと気になる。体調が悪いとかなのかなぁ…大丈夫かなぁ。意外と連絡手段ってなくて年賀状が来ないとあの方はどうしていますか…レベルで確認する手段がないのですね。
偉いなぁ、すごいなぁと感じるのがわたしから見て長距離の職場を辞めずにコツコツ十数年勤続。1人暮らしすごいと言われたけど彼女の方がすごい、収入がなくなったら自分は無収入になりポンコツ同然と見越してできる限り頑張っているんだろうなと。
たまには会えるかな…楽しみだなぁ、独身仲間なかなかいないため。独身の友達、数えると3人くらいいるけどさすがに友達の中では少数派で会える子もそんなにこの年齢になるとなかなかいない。足が痛くてとか腰が痛くて病院に行くとか行ったとか、年代的にこれからは健康を第一にという感じで友達らで労わっていく年齢になっている気がする。
結局のところいてくれてもいつまでもありがたいのは同性の友達なんじゃないかなぁと如実に感じている。なんだかんだで本当にお互いに元気な時は会ってリフレッシュできたりもしますしね。姪っ子ちゃんが可愛いのも美味しい立ち位置だなと感じる、扶養義務がないのに可愛い子がいて可愛がれる。