絶体絶命の時に名医に出会って助かっちゃうとかいう話は超絶ラッキーな人の身に起こるとは言えず、死ぬっていうのはある意味死ぬのを許されたという幸いだから、トークDE北海道でガンの人に絶対生きるから他の道を探してごらんってその道はないのにある意味現世的な幸せが生きることだけだからと追い詰めるのと、
あなたは死ぬがそれはあの世に還るだけだしその後も会えるし見守れるよ、とかどんな風に死ぬのか怖がっている人をそんな風にならないから大丈夫だよと言われる方が気が楽になる人もいると思うと何がラッキーで何がアンラッキーかということも考えなくてはいけないんだなぁ…と感じます。それでも生きていて欲しい人が今は生きていて、何気ない会話で込められる日々が当たり前ではなく、幸せなんだなぁとも感じる。
医師にも恵まれずいずれ死ぬ…わたしは不幸せと思っていることが霊的に言えばもう死を許された人でそこらへんで生き延びている人よりよっぽどラッキーだったり。これはその時になったら考えることがいっぱいありそうだなぁと感じる。人間その時になってみないと気づけないことも多々あり。
個人的に感じることだけど、今頃世界が平和だったら江原さんも悠々自適ご隠居お爺さんとしてが許されていた気がするけど、なんか現世の人の都合で長生きしてもらっている気がわたしはするというか引き摺り回しているのかなぁ…って時々感じる。
ウイルスのことやワクチンのことなど正しく伝えているのは江原さんくらいでしょうしね、裏があるよって(稀にいる正しい科学者も解説しているのも伝えている)。もし平和な世の中だったら江原さんがまだまだとは言え長生きする必要なさそうですしね、今頃メッセージを伝えなくてもみんなで力を合わせてなんとかしてる。地獄への見守り人みたいになっちゃっても頑張ってらっしゃってなんか、わたしはそれを読むだけっていう。
絶体絶命というような年にしょうもないきっかけであっけなく死んでもそれは許されたということなんだなと、来年も生を大事にするつもりではいつつも死んだ時に気づけない自分ではいけないなぁと感じます。
精神疾患といえばおかしくなった時に様々な奇行をするのがデフォなのですが(汗)、それに付き合ったりフォローしたりあえてその職業、元は精神科で働いていましたとか、精神訪問看護師を選んだ達観している訪看さんたちに出会うと、病気だとわかって去っていく一般の人もいれば、
江原さんの「一番大我が込めやすい職業が看護」とテレビでいつか言っていたように、自然となのか経験値なのかで理解して寄り添ってくださる人がいてありがたいなぁと感じます。それと生きているうちにできるのが勉強なので今一度江原さんの本を満遍なく読み直すのをまたやりたいなと感じます。
本人はこんなことを不安に思っていますが引き続き傾聴を心がけますとか医師に宛てた月1レポートも作ってもらえます。わたしの生き方を振り返ってみるとちょっとどころじゃなかったものの、辛いだけで飛び降りて死にたいな…
でもこんな低さじゃ死ねないなと考えていたため確かに江原さんの本などでも書かれているように前世で自死を選んだのかもしれないとも思いますね。でも今世で自殺しなかったとしても来世でも死んじゃいけないよと誰かに言われないと自死しちゃって元の木阿弥になってそうな性格してるなぁ…。「スピリチュアリズムを語る」に載ってますね統合失調症。
でも精神に疾患を持つ人のキャラクターが侘び寂びがあって好きだとかいうお医者さんや、訪看さんでやりたくてやってるってYouTubeで言ってる方とかポツポツいらっしゃって、ちょっとホッとしています。今でこそそういう人が時々いるけど、
本当にちょっと昔は大した薬がなかったので呂律が回らなくなったりすごく太ったり、動作がすごーく緩慢になったりして、明らかに病気の人って感じになってしまって、病院から出られないというイメージだったと思います。
今は根こそぎ退院時代なので一瞬シャバ^^;(本当に閉鎖病棟から感じるのは外の人は自由でいいなぁ、シャバに戻りたい!なんですよ、気持ちがね。)に戻って繰り返し入院しちゃう人もいるけど、精神疾患の人とすれ違ってないってことはまずないんだなぁと感じますね。
訪看さんが何名か辞めちゃったっていう事業所もあるので、そうも楽な仕事じゃぁないんだろうなとも感じていますね…。中には行くだけで毎度苦労するクセ強めの人もいるんだろうなと。