アイスモナカ

物価高で特にお子さんがいる人の方が困窮に陥っているんじゃないかという今、なんとなく余裕で暑中見舞い出してる行為がマウントに捉えられそうと考えて限られた人にしか送らなかったけど、お返事が届いていてみんな頑張っているなぁと感じます。

旦那さんの妹さんが精神疾患でという友達がいたけど、わたしもそうだよと言ったら距離ができるんじゃないかと感じてなんとなく言えず。昨年くらいにその義妹さんが調子悪くてその後からどういう接し方をしてもマウントと捉えられて嫌な接し方をされてる、という感じのことが書いてありましたね…。

それとか立て続けに色々な人が病気で亡くなったとか。濃い人間関係の中で頑張っている人もいるんだなぁと感じました。

友達の習い事で撮った写真を年賀状でくれて、元気な姿を見れて嬉しかったよということを書いたんだけど、本当に家庭持ちの人は家庭の事情で忙しさの度合いが違う、乱高下がかなりあって年賀状を書く余裕も今年はないとか色々ありそうだなと感じました。

とりあえずポツポツと返信が来るのが嬉しく、また年賀状を書こうという気持ちになります。年賀状の案どうしようかなぁ。本当は版画でやりたいけど来年巳年でしょう。デザイン案がマジ出ない。

和の置き物を模写した感じのでもいい的なことがあるみたいだけど。卯年とかデザインの出しやすい年もあるんですが。10月からハンパなく郵便料金高くなりますね…合掌。ここの値段は聖域にして守って欲しかったなぁ。今時手紙なんてないってことはなく重要書類も案外書類で送りますよね。

絵を頼んでくださった方も気を遣わなくていいよと言ってくださってもお返事いただいたりしました。わたしは子どもの頃は提出物の期限はめちゃめちゃ守る気のあるその辺はわりとやる気満々提出物、という性格だったのに、病気のせいなのか意欲の低下に抗えずです。

全然関係ない話を書くと、太って肩がガンダムみたいになっとるなと感じる。若い頃はパフスリーフを着ても華奢だったのにガンダム…W

台風はまだだけど雨の強い日に車で出かけようとしたけど、訪看さんや社協の方たちが雨の日の運転はやめた方がいいよ、難しいって意味がわかった…。雨での窓で滲んでいて道路脇や停止線も見えないし、遠いので片道30分も運転してたら絶対事故るわな…

と感じて戻ってきて何故か車庫どめもうまくできなかった。イレギュラーに戻ってきても遠回りしないと停められないのでめちゃくちゃ初心者で初心者マークを外せないのは身に染みて感じた…。なんか、課題をものすごーく感じた。

不便でも電車のほうがいいのかなぁ?とちらっとよぎるくらい。はぁ、怖かった…でも家の近所は道路が狭いから広い道路にでたらそうでもなかったのかなぁ。意外と家の近所を通ったり駐車するのが一番ハードモードだったりする。

いつまでも辿り着かないカウンセリングなのだった…。道路脇が見えない時点で絶対突っ込むからこらあかんと思ってすぐ引き返したけど、広い道に出てみた方が良かったのかなぁ。なかなか行けないでいるから頑張っても良かったのかなと思っていたけど、行く時よりもっと雨が降ってきて多分事故だったなと感じました…。

多少は運転するようになるとわかるわかる〜と感じます。ある程度の速度で飛ばせる広い道は迷惑にならない程度に加速してるけど、ピタッとくっついてくる車に違和感を感じますね…。煽っているのかなぁ。何かやられそうな感じで後ろ怖いです。

車の動画見て勉強してよう。勉強してなくてもわたしは横断歩道のある道は大体とまれる気がするけど確かに歩行者や自転車がいてもとまらない車いるなと感じる。減速して走っていれば大体気づくというか…。初心者がドヤっているという感じでこれからわからないけど気をつけよう。

YouTube見てるとお父さんに助手席に乗ってもらってる免許とりたての人多いけどいいなぁ…。わたしの父なんというか変人で会う気起こらず。今どうしているか知らない。「元気〜でいるか?」みたいな案山子みたいな手紙をよこさず何故か投資のよくわからない雑誌を送ってくるので即捨てて音信不通にしてる…。

さすがに訪看さんたちは助手席教習まではできないのでほぼ自力…。なので人の注意を見てひたすらシュミレーションを繰り返して事故防止。乗る前はちんぷんかんぷんだったけど、乗った後の方がわかる動画もあるのでもう一度繰り返し見てる。

もう月末になっちゃいましたね…。そろそろ収支の締めというか。想定内ですね、お金の使い方。最近過ごしやすくていいけど暑さは戻るのかなぁ。

社協の方とお惣菜にするとプラゴミがたくさん出るけど一応臭くない、この時期自炊とかすると野菜果物のクズが出まくって生ゴミ臭がやばいですよねと言ってたけど、秋冬はおさまってくるし、何にもしないで買ってくるだけだと楽すぎて腕が鈍るのでまた自炊をやっていこうと思います。

お惣菜だと生ごみのことを気にしなくてよく臭くないのでお惣菜に頼っていました。カレーとかも食中毒がやばいと聞くとどの程度もつのかとか。母に毎日のように野菜を買ってこいと言われるけど生ゴミがなぁ…。秋から解禁です。そろそろフライングで涼しくなったら鍋もいいだろうし。お惣菜で偏った栄養の収支もつけないとです。

発達障害って生まれながらのものって認識なんだなと動画を見て学んでいるけど、わたしの生育歴、父親似で神経質、内弁慶と言われていたけど大人になってから親にはそんなこと言われませんね…。

小学生の頃は超厳しい先生に3年間当たってたけどきちんと提出物も出すし、わかりやすい説明をする先生だったので勉強についていけてて6年生は成績が一番良かったですね…。大学とかも困りごとはそんなになく履修するとかなのかなぁ…なんとなくできてたなぁ。

ハードだっただけで。中学で不登校になったのはそもそもが学級崩壊レベルで授業が崩壊していて学校がカオスだった。みんな小学生の行儀の良さはなんだったんだくらい荒れてましたね。荒れてる学校に行くのが辛かったですね。

読書感想文、もちろん自力で書いたものだけどそれが良かったらしくて小3の2学期に学級委員をやっていた…。普通にまとめ役が嫌だったので目立たないように生きるようにした。

何の本で書いたのか忘れたけど学校の図書館で借りた本だったなぁ。文章は時々地域の作品集とかに載せられたりしていた。絵も表彰されるし習字も表彰されるし、毎年何かの賞状をもらっているのが普通でしたね。体育会系ではないのでスポーツの表彰は皆無です。絵か習字かで毎年表彰されてる。

テストでも点数が取れるので優等生って嫌味でたまに言われてたり、より目立たないように頑張っていた。社会系のなんとか新聞みたいなののレイアウトや文章構成なども得意でしたね…。結局成績なんて先生の教え方がいいか悪いかとか先生との相性だと思うので絶対って言えないと思います。

勉強ができてた方だけど中学に通っていてあまりの荒れ具合や先生の怒り具合に今でも嫌で仕方がないのに、高校に行くなんてまっぴらごめんと感じていて絵ばかり描いていた。でも高校に行かないと未来がないプレッシャーも感じていた。

絵ばかり描いて成績は落ちるしトンネルの中にいるような暗い中学時代だった。算数が一番できないけど指見て計算してても高得点取れるんですよね…。今でも暗算が苦手です。でも一応応用力があるので何かと何かを置き換えて計算の答えにたどり着く自体はできるので成績にまで響かない。

今考えると母が一切誉めないのは母が団塊の世代で結婚するのが当たり前の時代に容姿がたまたま太っていたりとなかなか結婚できなかったり苦労していたのに、わたしがシュッとしたスリムな見た目で許せなかったんだろうなとか色々感じます。

母のアルバムを見てやっと謎解きができた感じです。母のコンプレックスだったんだなぁと。自分のアルバムに狸のお化けとか書いてある。太っていた妹を可愛がっていた理由も自分が太っていたからなんだなぁと。

まぁ、一切誉めないで勉強しろとしか言わないので虐待チックになっていたけど。一切誉められないで育っているんだけど、先生には誉められることが多く、その時々で色々やることを見つけて助かっていた感じです。だんだん一緒に住まなくなったり他人に近くなる人になればなるほど褒める気になれるようです。

学科科目はあんまり…だけど絵は得意なのでデザイン科も成績は良かったです。描いたデッサンが手本に掲示されたりしていた。ユリの絵。意外に絵が不得意な人が入学してくるパターンも多かったです。

容姿コンプレックスの親に思春期の写真を撮られなかったり、学校で撮ってもらったりする以外の写真がとっても少ないですね。母はわたし以上に体育が苦手らしくてマラソンなども。わたしは家でダンスゲームしたり体力があった頃はどこまでも自転車で出掛けていたので痩せてましたね…。

それとかわたしの名前も妹の名前も当時のアイドルから取られているんだろうなと父に聞かなくても今なぜか想像できて小っ恥ずかしいですね。意外に父はミーハーなんだなと。色々な謎が解けてくる。

親に聞かなくても名前の由来が想像できる。昔わたしの初発の時の病気の見舞いで会った時、父が本田美奈子さんのなぜか話しててわたしはよく知らないんだけど…最近、自分の名前の由来も点と線がつながった。父はただのアホなんやなと思ってる。女性作家さんの名前とか付けられてる子を見るとおぉ〜と思うけどアイドル、ただのキラキラネームだった。

なんでこの名前かとか聞いたことないんですよ。どのアイドルか普通にわかるのが恥ずかしい。見栄を張って知的な先人から名前を持ってくるでもなくアイドルかぁ。キラキラネームではないけど、発想はキラキラネームに近い気もする。

手先が器用だったり大人になると誰にも似てないですね…自分。父親に容姿が似るでもなく。母と妹はなんというか性格からそっくりですね。そして姪っ子ちゃんも誰にも似てないなぁと感じる。

わたしと妹の名前の由来はアイドルだと最近まで気づいていなかったし、母もおそらく周囲と同様に早期に結婚したかったのに30代以降まで結婚できず、結婚かキャリアかで試行錯誤した人生だったし、色々発見がありました。

わたしの時代じゃ独身でも今どきこじらせとも言わないけど、ゴリゴリにこじらせていたのが母だったんだなと。父もあの通りだし結婚できたのに失敗したし。多分だけどわたしの名前も妹の名前もアイドルだけど、

妹は比べるとわたしの名前の方が響きが良くて姉の名前の方に生まれたかったのだろうなと姪っ子ちゃんの命名を見てなんとなく感じる。わたしが学級委員になったら、妹も立候補してなったり、

わたしは学級委員に立候補なんて性格上絶対しないんだけど、なんか色々対立したいのが妹なんだなと感じます。小3の時に学級委員になってもどう振る舞っていいのかわからないです。1学期は先生が学級委員を決めてたので。

絶対にクラスで目立たないぞ!と学級委員になった後に決めてた。配達係とかやってた。クラスで背が一番前に近いし元々引っ込み思案でリーダー気質ではなく絶対向いてないので。

うちの妹は中学の頃生徒会にも立候補してて落とされてたようだけど恥ずかしかったですね…。超目立ちだがり屋なのがわかるので。先生に煽てられたりするだけでその気になるらしい。なんというかまだ上に上級生もいるのに空気を読まない。

わたしは生徒会なんてまるで興味ないというか、そもそも当時全然勉強しなくなり成績が落ちていたりベルマーク委員とかでいいのでそんな妹がいるのが恥ずかしかったです。とりあえず立候補演説とかを見ないといけないのが苦痛の極致でした。先生もただのお祭り野郎で推しているだけなので…。

わたしは目立たないように極力発言もしなくなったけど、妹はハイハイ!となんでも立候補する目立ちたがり屋な感じでしたね。今でも社会の底辺で働くことに魅力を感じます。なかなかそれもできないけど。