過去の油彩




左は中2の時の展覧会のですね。でも中2で不登校になり習い事もやめちゃいました。ただ単に才能があるようにしか見えないんだろうけど、中高と居場所を奪われて孤独で地獄の日々を過ごしたことは文章に書き表せないし、学校卒業してからも良いことよりかは逆いものすごい苦労ばかりでしたね。普通の人ならさっさと自殺に走ってしまうところを10回くらいはとどまったんじゃないかなくらいには苦しかったですね。

でもそんな苦しい時でも助けてくれた友達や恩人が少数でもいたから今も死なないで生きているというか。わたし自身を振り返ってみて学校でいじめをするとか、そんなことも特にしないわりに生きていてとても大変だったので、カルマが還るというのは悪いことをして生きた人は確実にわたし以上のことが還るということだから、自分のためにやめるべきだとしか言えないですね…相手のためとは思えないのだろうし、自分にどれだけのものが還るか無知だからできるだけなんだろう…。

親が死んで一人になるかもという時は相当追い詰められていたため、ソーシャルワーカーさんに相談したいと言った時、現実的には何があったのか話も聞いてくれなかったので、話は聞いてくれない、そういうもんなんだなと一人で抱え込んでしまいましたね。結果的に。そのあと解決した後に拒否されていたことが過去の対応と異なっていたのでなぜ必要な時に対応してくれないのか不信感しかなかったので逆に断ったけど。

他のソーシャルワーカーの方が対応してくださったけどその人には最初の個人的に深刻だと感じたから相談したいと言ったけど、話をする前に断られたので。わたしはまともに相対さない人に会うことが多かったので、自分はそんなに軽いことで悩んでるのかなと相手の対応次第で人に相談しなくなっていたのですよね…。

相手に軽んじられているというよりは、自分がそんなにくだらないことで悩んでるから断られるのだと感じることが多いので。誰も助けてくれないところにいつもいると自分の抱えている問題の深刻さが客観視できてないので、断られたら誰にも相談しなくなる。

わたしのその時まで自分が生きてきたフィールド内だけでの世界を見てきた限りでは断られることだからひとりでなんとかしろよというメッセージだと受け取るというか。嫌味とかでなく自動的にそうなるので誰にも相談しなかった。自分の私怨以前に、自己表現しなかった自分自身の過去など振り返って、勉強するにつれ、本気出して相手に関わるべき仕事だと感じるのですよね…勉強するから見えてくるというか。

わたしが人に相談しないとよく言ってしまうのは現実的に極限でもいつもそれでしのいできた実績が自分の中にあるからなんですよね。今まで相談機関に相談してもまともに取り合わない人ばかりなので人に頼っている時間自体がロスになる行為と感じるというか。

人に依存気味な人は相談できるだろうけど、自己表現が苦手な人も人生上大きな問題を抱えている場合があるのでできる限りうまく拾い上げなければいけない仕事だと感じるというか。だから感情表出が上手い人より自分と似たような表現がうまくない人の方が気になるのですよね…深刻な問題なのに相談をしようとも思わない、発想にすらならない人がいるのがわかるので。

わたしも大人しい性格だったので、主張しない分、攻撃対象にはされないけど意見は絶対誰かの意見でガン無視され続けるうちに主張しようという発想もなくしていく現実を人生経験上知っているので。自信なさそうな態度がデフォで生きている人って能力はあろうがなかろうが、自信満々な人が何か言うより何か言っただけで自信満々な人より攻撃しやすい対象なのでそれを感じて萎縮するのですよね…。だったら黙ってようみたいな。気が強い人に大抵弾かれているんだけど、それも主張しないしわいわいしている人はまず気がつかない。

30歳過ぎても健康なのに迷走している友達に意見したことはあるよ…。でも結局周囲にいる人がどれだけしっかりしている人がいたかの影響なのかなぁと。わたしは20代はなぜかとても調子が悪くて逆に調子がいい人がどれくらい楽なのか理解できなかったのでそこまでは友達付き合いしていましたが。結局今はなにがしかの限界が来るまで働ける場所があれば働いていることが一番良策という時代なのだと思うし、

もしもうダメだよねってなっても皆がそうだから落胆せず、次の職が見つからない、食べていけないとなったら福祉制度を活用するとかでOKだと思います。わたしはデザイン科を出ているので同じような学科だったらネット上でデザインの仕事をできるようにするとかもやろうと思えばスキルを磨くなど方法は見つかるかもしれませんし。