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樹木希林さんがご存命だった頃テレビ番組で番宣はやっていたけど、どういう内容かほとんど触れていたなかった気がしていたけど、暇だった頃たまたまレンタルして、おそらく樹木希林さんがお亡くなりになったあとの方が知っている方が多い映画なのではないかなぁと思います。

「やり残したことは、ありませんか?」の中にはとてもささやかなことではあっても人生で叶わなかったことがあったり、見た目的に印象深い病気なために人格まで完全に無視された人々が実際はたくさん存在していてその影響で全ての行動が制限され、結果、そうなっているとか…。

今では医療の進歩でこの病気はなくなったとしても、他の病気でスティグマがあると言われるような病気になった人にも誰にでも心はあるし、差別は実際にはなくなってはいない現実、援助者からも差別を受けても言えない現実があることは知っておいて欲しいですね。

それにこの映画では病気なために人格を無視されている人、健康でも世間から否定されている人…親のケアが受けられていないなど、健康だから必ずしも幸せなわけではない人々も描かれていると思います。もちろん環境的には明らかに幸せではないと感じるけれど、そういう人たちがどう交流して心が温まっていくか…という話なので。

わたしの意見だけど、病気という事実だけで人格すら無視されて遠くに追いやられて長い間、苦しみの人生を送ってきた人、親のケアが受けられないのに普通に一見したら暮らしている子ども…結局周囲の思いやりのなさや愛のなさに集約されるだけの話のように感じます。

でも実際に関わってみて病気の人が特別他の人と比べて人格が歪んでいるかというと、正直そう感じないし、普通に暮らしている人の方がよっぽど表面的な差別を盲信してこいつらよりは上だからみたいな、お山の大将気取りだったり、客観的に見ると健康の人の方もだいぶおかしいよねという場面もあるにはありますね。

スピリチュアリズムでは「差別した者は=差別される」という因果が働くのでどれだけ表面的に美しく見せても心の中が差別の気持ち満々だったら自分がそれをそのまま受ける順番が必ずやってくるので今健康で今不健康とか、瑣末なことであって、正直順番にやるような問題なので、病気になったorならない…それ自体はそれほど大きな意味を持っていないのですよね…。

病気は順番にやるだろうけど、それ以前に健康であった時に健康ではない人を差別する心を持たなければ温かい環境を得られて障がいを持つ人生を送るのだと思うので。健康というのは現実的に流動する事象であって、誰でも病気の人生を送るカリキュラムは組むし避けられないけれど、それ以前にどういう思考を持っていたかは大事だと思います。

自分が健康で過ごせた時期に他の人は病気だからと一段低く見て当然だと思っていたかどうかとかそういうところは確実に避けられない状況で問われてくるでしょうね。表面的には肯定するが心の中はそうは思ってない、も無意味だと思います。結局表面上うまくやれたかは意味がなく、心の中の方が問われる。

良い状態の人なら肯定するというのも疑問ですね…悪い状態の人も差別しなくなった時が本物なのではないだろうか。(もちろん自分のことを大棚にあげて言っていますが…でも最終的にそういう状態にならないと人間的に成長しているとは実際には言えないのだろうなと感じています。)

自分より重い状態の人も自分と同じ心を持っているということ自体、当たり前なことなのにそんなことにも無関心でいられるほど恵まれていて、気づかないままやり過ごしているのが大抵の人間なのだと思います。わたしはそのことにやっと気づいたので何か役に立つ場合もあるかもしれないので勉強をはじめた部分もあります。